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大國魂神社
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くにたま通信

ご神木・大杉の記/御幣とは何?

 宮司 山名隆弘

ご神木・大杉の記

叔母から聞いた「雷の日」

大正15年(1926)3月生まれの叔母・信子(祖父 山名隆貞の次女)から、夏井尋常小学校2年生の秋のお彼岸に恐ろしい目に遭った話を、何度も聞かされました。

秋のお彼岸の中日(22日)、大杉に雷が落ちたのです。信子は、母屋の前の庭いちめんに、足の踏み場もないほど青大将(あおだいしょう。蛇の一種)がのたうちまわっていた、と話していました。

その日、隣家の山名康雄さんは、江筋(えすじ。神社のそばを流れる用水路)に入ってフナやウナギをすくっていたそうです。大雨が降ってきたので太鼓橋の下で雨宿りをしていると、激しい雷鳴が続き、大杉に何度も雷が落ちた、と話していました。

何度も雷が落ちたあと、夜になって大杉の幹の内側が燃え上がりました。氏子の消防団に駆けつけてもらいましたが、幹の内側はぼそぼそになっていて消火が思うように進まず、困り果てたようです。

当時の神職が残したお礼状

当時の社司(しゃし。いまの宮司)山名隆文と、社掌(しゃしょう。いまの禰宜)山名隆貞は、9月30日付けで各方面に通知を出しました。もとの文のまま載せ、そのあとに意味を書き添えます。

拝啓過般當社境内の神木目通廻り三丈の大杉に落雷火災を起し候際は早速御鄭重なる御見舞を辱うし御芳情難有謝上候

時を移さず村内消防夫及平町自動車喞筒の應援を求め徹宵消火に努め其の勇敢なる青年は率先十数丈の頂上に攀ぢ登り水力を此處に導き火力漸く衰ふるを見るや上下数個の洞穴に泥土を塗り固め以て通風を遮断し茲に大略鎮火せるものと認め居候處更に昨廿九日午後に至り又々再燃せるを氏子消防夫青年等の努力を以て茲に完全に消火致候

發火以来實に七日間千餘年の神木各位の盡力に依り幸ひ蘇生するを得ば神慮を慰め奉るを得べくと氏子一同と悦び居る次第に候

右概況を記して謹しみて御禮申上候 敬具

昭和八年九月三十日
縣社大國魂神社社司山名隆文
縣社大國魂神社社掌山名隆貞

【おおよその意味】 先日、当社境内の御神木で、目通り(めどおり。目の高さで測った幹回り)三丈(約9メートル)の大杉に雷が落ちて火事になった際には、さっそく丁寧なお見舞いをいただき、まことにありがとうございました。

すぐに村の消防の方々と、平町の自動車ポンプの応援をお願いし、夜通し消火に努めました。勇敢な青年たちは、十数丈(30メートルあまり)の頂上まで自らよじ登って水を導き、火の勢いが弱まると、幹の上下にある幾つもの洞穴を泥で塗り固め、風が通らないようにしました。

これでほぼ火は消えたと思っていたところ、昨日29日の午後になってまた燃え出しましたが、氏子の消防の方々・青年たちの力で、完全に消し止めることができました。

火が出てから実に7日間。千年あまりを経た御神木が、皆さまのお力によってよみがえることができれば、神さまのお心をお慰めできると、氏子一同と喜んでおります。

以上、あらましをお知らせし、謹んでお礼申し上げます。 昭和8年9月30日 県社大國魂神社 社司 山名隆文/社掌 山名隆貞

消防団のみなさんの必死の働きがよくわかります。

石城郡長への「報告書」

隆文の日誌には、石城郡長(いわきぐんちょう)にあてた「報告書」も残されています。こちらももとの文のまま載せ、意味を書き添えます。

神木落雷ニ付報告書

石城郡夏井村大字菅波鎮座
一縣社大國魂神社境内
注連大杉壱本
目通三十尺六寸 壱百尺尽余

右去ル九月二十三日午後八時落雷セルト同時ニ火災ヲ発シ消防ノ力ヲ以テ一ト先ツ鎮火致シ其後警衛ニ相勤メ候処先以テ廿七日鎮下セシ旨去ル二十八日コロ大略御報告申上候所去ル廿九日午後第三時頃又々途中より火煙ノ出ルヲ見留メ直ニ消防ニ尽力シ元ノ密封ノ火口所ヲ取払ヘ望見スルト火氣ノ充分アル事ト認メ更ニ上部ノ空洞ヲ弐間梯子ヲ入ルゝト同時ニ下ノ口ヨリ決死ノ消防夫二名漸ク中ヘ入リポンプニテ水ヲ諸方ニ注入シ殆ト残ル所ナシ尽ク鎮下セシメタリ右御報告申上候 六日

【おおよその意味】 神木落雷についての報告書 石城郡夏井村大字菅波に鎮座する県社大國魂神社の境内、しめ縄を張った大杉一本(目通り三十尺六寸=約9.3メートル、高さ百尺=約30メートルあまり)。

9月23日午後8時、雷が落ちると同時に火が出ました。消防の力でひとまず火を消し、その後も見張りを続け、27日には鎮まった旨を28日ごろにおおよそご報告いたしました。

ところが29日の午後3時ごろ、幹の途中からまた火と煙が出ているのを見つけ、すぐに消火にあたりました。先に泥でふさいだ火口を取り払って中をのぞくと、まだ火の気が十分に残っていました。そこで上の空洞に弐間(約3.6メートル)の梯子を入れると同時に、下の口から決死の消防夫2名がようやく中に入り、ポンプで水をあちこちに注ぎこみ、残らず消し止めました。

以上、ご報告申し上げます。(6日)

その後の大杉

戦後まもなくのころだったでしょうか、枯れるのを防ぐために、大杉の上の方を伐り落としました。

大杉の根は江筋の壁や底に勢いよく伸びていましたが、昭和40年ごろに江筋がコンクリートで固められた際に切られ、木の勢いが衰えました。それでも、ユアテック株式会社様のご奉仕によるバンド掛けなどの手当てのおかげで、大杉はいまも長寿を保っています。

最近では、参拝のみなさんが大杉の肌に触れたり、手を合わせたりする姿が増えました。


御幣(おんべい)とは何?

神さまへの「お供え物」

御幣は、神棚や氏神様、また神聖な場所にお供えするものです。「ごへい」「おんべい」と読みます。

和紙を切って折った紙垂(しで)を、幣串(へいぐし)という木や竹の串にはさんだ形をしています。神職がお祓いのときに振る大幣(おおぬさ)もその仲間で、その意味では、御幣は「祓い」の道具ということもできます。

はじまりは「貴重な品」を捧げたこと

御幣の形は、古い時代に貴重な品だった木綿(ゆう)や麻を木にはさみ、清らかな物として神さまに捧げたことから始まりました。演芸や宴会で、お札やのし袋を割り箸にはさんで差し上げる習わしにも、その名残があるのかもしれません。

木綿や麻は「祓い」の道具としても使われるため、御幣には「祓い」と「捧げ物」の両方の意味があります。

「御幣」という言葉は、貴重な品を表す「幣(へい)」に、敬う気持ちを表す「御」を付けたものです。

御幣の移り変わり

  • 古墳時代のころから、人々はお祭りで、神さまに貴重な品々を幣帛(へいはく)として捧げてきました。その多くは当時の最先端の技術を表すもので、お祭りの跡からは、鉄の武器や農具・工具、玉、鏡にかかわるものなどが出土しています。布を織る技術もそのひとつで、布も捧げられました。
  • 奈良時代の後半から平安時代の前期にかけて、幣帛は特に布を指すようになります。折りたたんだ布を串にはさんで捧げる形も現れ、幣挿木(へいはさむき)などと呼ばれました。
  • この幣挿木が、いまの御幣につながっています。大事なのは、幣挿木に付けられた木綿と麻です。木綿は、それが神さまへの捧げ物であることを示すため、幣帛とともに串にはさんで垂らした木の皮の繊維で、神聖さを表すものでした。

神さま、ご先祖さまに捧げる御幣の意味を心にとどめ、ていねいにお供えすることが大切です。


氏神さま御幣まつり

  • 日にち:令和8年10月15日(木)
  • お受け取り:午前中のうちにお済ませください
  • それぞれのご家庭のお祭りです。お忘れなくお越しください。
  • 御幣(おんべい)は、氏子以外の方にもお分けしています。初穂料は種類により1本100円〜200円です。
  • ご家庭ごとにおまつりの仕方が異なりますので、わからないことは社務所にご相談ください。
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