國魂太郎の遺領相続を郡衙が承認した文書。直営田や在家の経営、「火打田」「茅生辺」といった鎌倉時代の國魂村の地名が記されています。
解説
『國魂文書』は、平安時代末から南北朝時代(十二世紀末〜十四世紀末)に及ぶ文書群です。武士団の長・岩城氏一族の系図をはじめ、国衙領であった國魂村(現・いわき市平菅波地区)の経営や地名が伝えられています。
この配分状は、國魂太郎が亡くなったことを受けて、遺領の相続を郡衙(役所)が承認したものです。國魂氏には経隆・成隆の名が伝わり、経隆の子が成隆にあたります。國魂太郎の直営田は参町、ほかに五人の在家が七町九反歩の田地を分割して経営していました。國魂屋敷をはじめ、在家の屋敷も確認できます。
末尾には「一所、一段 火打田八段内作人不定」「一所 五段茅生辺作人不定」とあります。火打田は大國魂神社の神事祭礼のためのもので、茅生辺はチガヤの茂る茅原を指します。いずれも村で共同耕作していたと考えられます。
くわしくは、くにたま通信の鎌倉時代の國魂村とチガヤをお読みください。
