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くにたま通信

鎌倉時代の國魂村とチガヤ

 宮司 山名隆弘

(チガヤ:単子葉植物イネ科チガヤ属の植物)

福島県重要文化財(典籍)に指定されている『國魂文書(一巻二十一紙)』が当家に伝わっています。平安時代末から南北朝時代(十二世紀末〜十四世紀末)に及ぶ文書群であり、武士団の長・岩城氏一族の系図をはじめ、国衙領(陸奥国磐城郡司の支配地)の國魂村(現・いわき市平菅波地区)の経営や地名などが伝えられています。

そのなかの「國魂太郎経隆遺領配分状(正応五年/一二九二年六月十四日)」に、よく注意してみると、おもしろいことが浮かび上がってきました。この配分状は地頭國魂太郎成隆が亡くなったので、遺領相続を郡衙(役所)で承認したものです。國魂太郎の直営田は参町とあり、ほかに5人の在家が七町九反歩の田地を分割経営していました。また、國魂屋敷以下、在家の屋敷も確認できます。「在家」というのは平常には農地を経営していますがイザという時は地頭の兵力となっていたのです。

配分状の末尾の方に「一所、一段 火打田八段内作人不定」とあり、次いで「一所 五段茅生辺作人不定」とあります。この茅生(ちふ)とは、一面にチガヤが茂っている場所、すなわち茅原(ちはら)を意味しています。「茅生辺」のことは仮に「チウベ」とよんでおきましょう。「火打田八段」は大國魂神社の神事祭礼のためのものであり、村で協同耕作していたと思われます。続いて「茅生辺」の五段も共有地であったでしょう。

ではなぜ國魂村は「チガヤ栽培の畑」を重要視していたのでしょうか。

チガヤは五月ごろ「ツバナ」とよぶフワフワとした白い綿毛の花を咲かせます。子どもの頃、これを引き抜いて食べたものです。ほんのり甘い。万葉集にもよまれており、古くから親しまれてきました。

民俗学者の和田文夫さんの名著『土の味』(いわき地域学會図書、昭和六十三年)にはツバナの話しが載っています。それによれば、チガヤの穂綿は火打石と鋼鉄をカチカチとぶつけて発する火花を火種にするときにとても良い。それから、その根を陰干ししたものを煎じて飲めば薬効がある、というものです。「月経不順・風邪・腹痛・喘息・黄疸・水腫・糖尿病」の薬になる。また〔本朝食鑑〕によると、吐血・鼻血止めや刀傷の痛み止めに効くとあります(古事類苑/植物部一)。

和田文夫さんはまた、夏に刈り取った1.5メートルぐらいのチガヤでゴザを織る習わしがあって、お節句や祭日に搗く餅をチゴゴザに並べておくと永持ちした、とも書いています。

こうしてみると、國魂村の「茅生辺五段」はなくてはならない畑であったにちがいありません。

宮司 山名隆弘

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