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大國魂神社
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由緒を知る

石城国とは

養老二年(七一八)の石城国設置とともにお祀りされたのが、大國魂神社のはじまりです。石城郡衙・根岸遺跡・甲塚古墳など、この地の古代をたどります。

注連縄を張ったご神木の大杉

石城国とは

今からおよそ千三百年前の養老二(七一八)年、石城国が設置されました。陸奥国の五郡(石城・標葉・行方・宇太・曰理)に、常陸国の菊多郡を加えて置かれた国で、今の浜通り地方のほぼ全域にあたります。

朝廷はこの地のまほろばの杜に大國魂神をお祀りしました。当時の日本六十余の国々それぞれで同じ神をお祀りすることによって、国の繁栄と安泰を祈ったのです。これが大國魂神社のはじまりであり、浜通り地方最古の神社と伝えられるゆえんです。

石城国はほどなく陸奥国に編入され、この地域は磐城郡に属することになりました。国としての石城国は短い期間でしたが、「石城」の名は郡名・郷名として、また当社の由緒として今日まで受け継がれています。

石城郡衙と根岸遺跡

当社の東南およそ二キロに位置する根岸遺跡は、古代の郡の役所(郡衙)の跡です。北隣の夏井廃寺跡とあわせて、平成十七年に国の史跡「根岸官衙遺跡群」に指定されました。石城国府もここに置かれていたと伝えられ、古代のこの地が政治の中心であったことを伝えています。

役所の近くに国の神をお祀りするのは、古代の国づくりの姿そのものです。大國魂神社が郡衙のほど近くに鎮座しているのは、当社が石城国の神としてお祀りされたことを示しています。

甲塚古墳と石城国造

甲塚古墳(平荒田目・国指定史跡)は、石城国造・建許呂命(たけころのみこと)の墳墓と伝えられています。当社では甲明神をまつる神社の飛び地境内として、御田植え祭・抜穂祭の折に草刈りを行っています。

古代文化の栄えた地

当社周辺には、古代文化の栄えたことを物語る遺跡が数多く知られています。

遺跡・文化財 所在・指定
根岸遺跡・夏井廃寺跡 平下大越ほか・国史跡「根岸官衙遺跡群」
甲塚古墳 平荒田目・国史跡
中田横穴 平沼ノ内・国史跡
八幡横穴 平下高久・市史跡

延喜式内社として

醍醐天皇の御代に編まれた『延喜式神名帳』(九二七年)には、磐城郡の七社のうち筆頭として当社が記されています。石城国の神としてお祀りされた社が、国が陸奥国に編入されたのちも、磐城郡を代表する神社であり続けたことがわかります。

かつての甲塚古墳
かつての甲塚古墳。石城国造・建許呂命の墳墓と伝えられます。

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石城国の設置から今日までの千三百年の歩みと、お祀りする四柱の神々。

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國魂文書を読む

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くにたま通信(宮司の筆)