
桐の紋のこと
桐は古くから高貴な紋とされてきました。五七桐は、中央の花が七つ、左右の花が五つずつ並ぶ形をいいます。当社の紋も、三枚の桐の葉の上にこの花を戴いています。
磐城平藩主・内藤公の神輿
江戸時代、当社は歴代の磐城平藩主・内藤家から厚い崇敬を受け、社殿の造営や備品の寄進が行われました。
内藤公から寄進された神輿は二基あり、そのうち一基の紋章が五七桐でした。これにより五七桐を当社の神紋としています(もう一基は下り藤です)。
内藤家の家紋について
内藤家の家紋は、ふだんは下り藤が用いられます。けれども正式な——あるいは古い形の家紋は桐であったと考えられています。
その拠りどころは、『内藤侯平藩史料』一巻に載る天正十八(一五九〇)年七月十一日の記事です。徳川家康公が箱根山に陣を敷いた折、内藤家三代・家長の鳥銃の袋に桐の紋があり、それを見て桐を家の紋としたとあります。
内藤家は、幕府に対してはかつて小田原攻めを行った豊臣秀吉から賜った桐花紋を憚り、公の場では下り藤を用いていたと考えられます。その本来の紋を、平藩の一社である当社の神輿に記したところに、内藤公の深い思いがうかがえます。
代々お仕えしてきた社家
当社の神職は、山名家が代々お仕えしてまいりました。鎌倉時代には地頭・岩城氏の一族である國魂氏が祭祀を担い、南北朝時代には神主・山名氏が周辺三村を領して、お祭りを取り仕切っていたことが知られています。
いまの宮司、山名隆弘は五十一代目にあたります。その子、その孫が五十二代・五十三代として、同じ社にお仕えしています。

