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大國魂神社
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夏越大祓

日にち
6月末
場所
大國魂神社(いわき市平菅波)
杜に囲まれた鳥居と石段

半年の罪・穢れを祓い清める神事。「茅の輪くぐり」で無病息災を祈ります。

大祓とは

(社報「くにたま」より抜粋)

一年のうち、六月の晦と十二月の晦には「大祓」というたいせつな神事が行われています。大祓は、延喜五年(九〇五)に編集された延喜式によってはじめてまとめられた祭式であり、正しくは「大祓式」といいます。延喜式によれば、その巻の八に二十八篇の祝詞の文が収められているのですが、そこには九〇五年より以前の数百年あるいは千年以上の昔から伝承されてきた日本のおまつりの姿が投影されているわけです。

大祓は「天つ罪・国つ罪・許々太久の罪」を祓い清めるために行われますが、さまざまな罪は人形(型)に託して大海原に運ばれ、そして海底の根の国底の国におられる「速佐須良比売」という神さまが持ち去ってくれるのです。

罪とは

人間が犯す罪は、延喜式では農耕及び村の生活秩序を妨害する罪(天つ罪)と、殺人・傷害・婦女暴行・不倫・鳥獣の害・落雷・呪詛などの罪(国つ罪)であると述べています。

これを現代にあてはめればどのようになるでしょうか。人間は千年前よりも善くなっているかというとそうではなくて、ますます罪を重ねているではありませんか。

罪の自覚といえば、キリスト教でも仏教でも重視しているのですが、神道では大祓の祝詞で明言しております。罪は水に流せばおしまいになるという意味で大祓を理解してはいけません。大祓は社会秩序を破壊したり、倫理(人の道)に反したり、自然への畏敬を忘れたりしていることが重大な罪であるという自覚を促しているのです。

どうして六月と十二月に

ふりつもる罪の自覚をもたず「チリも積もれば山となる」のたとえのように、次々と罪を重ねていくにつれ、人間の人格は崩壊してしまうのです。その反対に罪を自覚し、もしかしたら微細な罪を犯しているのではないか、と内省を重ねる人は、しだいに人格に品性がにじみ出てきます。

先祖さまたちは半年に一度、私たちに自省の時を与えてくれたのでしょう。そしてこの時期は根本的には、生き御霊をまつる七月(旧暦)の魂祭り(仏教でいう盂蘭盆)のために、村も家も人も清浄にならなければならないとされたのです。六月(旧暦)晦日からの大祓→七夕→魂祭り(盂蘭盆)というひとつながりにたいせつな意味があるのです。これは歳末の大祓→正月→小正月も同様です。

もともと旧暦で年中の祭礼・行事が営まれていたのですが、明治維新と先の戦争後の二度、日本の伝統文化は激しい変動に見舞われました。その変動に押し流された結果、本来、日本人が保持していた罪の自覚や倫理観もまた捨て去られてしまったのです。こうして、惨憺たる社会相が現出してしまいました。

わたしたちはもう一度、日本人の伝統的な罪・穢れの自覚にめざめ、大祓の神事によって身を修め、家を斉える祈りへと発展させていきましょう。特に六月の夏越の大祓を月遅れの七夕とお盆に連続させることによって、夏休み中の子どもさんたちも参加できそうです。

人形について

人形は封筒に入れ、氏子・崇敬者が直接参拝し「茅の輪くぐり」をしたあと神前に奉じてください。家族全員ご都合のつかない際は、各総代さまに頼んでください(社頭参詣の方には記念品をお頒かちいたします)。